新型コロナで最愛の父(87)を失いました。最近は第7波も落ち着きを見せ、世間ではまるでコロナ禍が終わったかのような賑わいを取り戻しつつありますが、今後起こるであろう第8波を前にコロナで亡くなる前と後でどんなことがあったのか記しておこうと思います。
新型コロナ発症から
父(87)は難病のため長年ステロイドを服用し、腎機能低下、肺気腫などの基礎疾患を有していました。とはいえ、日ごろから活動的で若々しく、とても基礎疾患があるとは思えない生活を送っていました。ちなみにワクチンは4回接種しています。
そんな父が8月下旬のある日のこと、昼頃から乾いた咳をし始めました。本人に確認すると水を引っかけてむせてるだけと言い、その時は熱もSpO2も問題はありませんでした。しかし、その後も咳が止まる気配はなく、何となく気になったことから数時間毎に熱を計っていると夜になって発熱(37.2℃)、SpO2は98%でした。
翌朝、かかりつけ医は夏季休暇中のため、近くのクリニックでPCR検査をし、その翌日には陽性との診断を受けました。ちなみに同居家族は後日のPCRで陰性。
保健所から高齢かつ基礎疾患があるので入院が可能とのことでしたが、本人が頑なに拒否(面会もできず、もしかしたら帰ってこれない恐怖があったのかも)したため、自宅療養を選択。発症から3日後には平熱に戻り、5日後からは解熱薬も打切り、咳は残るものの順調に回復。しかし、療養観察最終日(10日目)の朝に発熱(37.2℃)してしまいました。
療養観察方法に疑問
療養観察最終日の朝、保健所から病状確認のTELがあった際に、熱と咳が続くことを伝えましたが、37.5℃以下なので微熱扱い、咳は残るものなので仕方がない旨の説明があり、療養観察終了とのことでした。
ただでさえ高齢者は熱が出にくいのに、こんな観察方法に一体何の意味があるのか甚だ疑問でした。そして、その晩になって更に熱が上がり(37.8℃)、その後はSpO2が数分毎に乱高下(92~97%の間)する状況。
私は医療機器の営業/マーケティングに携わっていましたが、チアノーゼもなく、息苦しさもなく、意識もしっかりしており、数分毎にSpO2が乱高下(92~97%の間)するような状況を見たことがなかったため、救急要請をするか判断に迷い自宅療養者センターに電話で相談しました。
お役所的な管理体制?
まず驚いたのは保健所での観察のため、こちらには記録がないと言われたこと。とにかくこちらの状況を伝えると、センター内で相談し折り返し連絡をくれるとのことでした。
その後連絡がきましたが、チアノーゼがあればすぐ救急要請をした方が良いが、無ければ今から往診を頼んでも来るのは朝方になると思われ、朝まで待ってかかりつけ医にかかった方が確実とのこと。また、療養観察最終日に発熱したので、療養期間が延長になるのかも確認したところ、その件は保健所管轄なのでそちらに確認してほしいとのことでした。
このような状況下、管轄がどうとか、お役所的な対応。患者のことは二の次で、建前上応対したという記録さえ残ればそれで良いという印象を受け(私の解釈が間違っていれば謝りますが)、腹立たしい思いでした。こんなことしてたら助かる命も助からないと思ったのが正直な感想です。
新型コロナ病棟に入院
翌朝、かかりつけ医を受診したところ肺炎が確認され、紹介された病院へ緊急入院することになりました。入院前の検査では肺炎、軽度の肺水腫あり、CRP(炎症反応)上昇で、その晩には容態が急変したものの(39℃台、SpO2低下により酸素投与開始)、入院3日目には症状は落ち着き、快方に向かいつつありました。
入院中は面会禁止、コミュニケーション方法は?
コロナであろうと無かろうと入院中は面会禁止。昨年末は母(87)が約1ヶ月、コロナ以外で大病院に入院していましたがその際も面会禁止。また父は2年前、大腿骨頭壊死で人工股関節の手術予定でしたが、激痛がありながらもコロナ禍のため一時はオペ予定日の見通しが立たない状況で散々翻弄された上、その後の入院中も基本的には面会禁止でした。
もちろん今回コロナで入院した際も基本的に面会はできませんでした。(例外あり、後で記載)
幸い父はスマホ/アプリでのコミュニケーションも問題なくできたので少しは良かったですが、母の場合は使いこなせず、おまけに病院からの連絡も殆ど入らなかったため、本当に心配でやきもきしました。
デジタルツールを使うことができない高齢者では家族とのコミュニケーションが取れないため、病院側のサポートも重要だと思いますが、サポートレベルは施設やスタッフによってもまちまちだと感じました。
ですので、デジタルツールに不慣れな高齢の両親や親族がいるなら普段から練習しておいた方がよいと痛感しましたし、また、病院においては、患者と家族、医療従事者との円滑なコミュニケーション方法をもっと検討して頂きたいと思いました。
快方に向かいつつも急変
入院3日目には症状も落ち着き、酸素投与は続けながらも快方に向かっており、父とは毎日メールや電話、ビデオ通話をしていたことから日に日に元気になっていくのが分かりました。それに加え、主治医もまめに連絡を下さったことから現状把握はしやすかったのが救いでした。
主治医からは肺にダメージが残り、在宅酸素療法が必要になるとの説明を受けましたが、本人もいたって元気で順調に回復しており、入院8日後には退院予定日も決まりました。父も家族も退院日を楽しみにしていましたが、退院予定日の前日昼から容態が悪化し、翌日夜には心停止(死亡宣告は日を跨いだ)となるような激変ぶりでした。亡くなる数時間前にも辛い状況ながらも前向きな電話をくれており、あまりに急なことすぎて未だに現実を受け入れられない自分がいます。
死に目にも会えない!?
基本的に面会ができなかったことは前述の通りですが、それは死に目にも会えないということを意味します。
ただ、私が医療業界ということ、姉も医療従事者であることから、心停止する日の昼に特別に面会が許可されました。感染のリスクがあることを承諾し、防護服を来て父の病室へ入室。父は延命治療を受けないと意思表示していたので人工呼吸器はつけず、鼻の管から高流量/高濃度の酸素を吸入する器械(ネーザルハイフロー)を付けながらも、意識も言葉もしっかりしており、母の手を力強く握って安心させようとしていました。
面会を終え帰宅してからも父は亡くなる数時間前まで何度も連絡をくれましたが、その晩に病院から心停止したとの連絡を受け、息を引き取った父との面会についても特別に許可されました。防護服越しに手を握ると既に冷たくなっており、せめてもの救いは眉間にしわを寄せることもなく穏やかな表情をしていたことでした。そして、お別れを告げた後、死亡宣告となりました。(死因は新型コロナ肺炎)
発症から約3週間、新型コロナと闘った最愛の父に直接伝えたいことが山ほどあったのに・・それができなかったことがとてつもなく辛いです。
病院によっては全く面会ができないところがある中で、亡くなる前だけでなく亡くなった後も面会が許可されたことは有難いことでしたが、やはり死に目には会いたかった。。その上、こんな防護服越しで父の体に触れなければならないなんて、とても悲しすぎる現実でした。
「新型コロナで父を失う‐(2)」へ続く