「大斎原(おおゆのはら)」は、明治22年の水害で社殿の大部分が流出してしまい、流出を免れた社殿も現在の熊野本宮に移築されたため、現在は石祠や碑残るのみです。熊野本宮大社から大斎原へ歩くと大きな鳥居が見えてきます。遠目から見た旧社地は、まるで天に向かってエネルギーが放出されているような印象でした。
この大鳥居は、高さ約34m、幅は約42mだそうで、日本一といわれています。
いざ旧社地内(本宮大社社務所にて撮影許可を取得)へ。
中四社・下四社(左祠)、摂末社(右祠)を祀る二基の石祠。また、その反対側には、一遍上人の碑があります。大斎原は、世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の構成資産の1つでもあります。
- 中四社(左祠)のご祭神は、忍穂耳命、瓊々杵命、彦穂々出見命、鵜葺草葺不合命。
- 下四社(左祠)は、軻遇突智命、埴山姫命、弥都波能売命、稚産霊命。
- 摂末社(右祠)は、八咫烏神社、音無天神社、高倉下神社、海神社。
もともとは「熊野坐神社(くまのにますじんじゃ)」と呼ばれていたそうで、この名称の方が個人的にはしっくりくる気がします。熊野本宮大社の主祭神である家津美御子大神(けつみみこおおかみ)もまたの名を「熊野坐大神(くまぬにますおおかみ)」というそうです。
ここは、特に何があるわけでもありませんが、心地よい空間で随分と長居してしまいました。その一方、何か物悲しさや警告めいたものを感じさせられた場所でもありました。私は、神社というのはその地に鎮座する明確な意味が込められているのではないかと感じています。そのお社が水害によって流出したという事実は、私達への重大な警告ではないかと捉えています。
この水害(十津川大水害)の原因は、上流域での急速な森林伐採といわれていますが、このような歴史や神社のメッセージをしっかりと心に刻み、活かさなければならないと感じさせられた参拝でした。