阿須賀神社は、日本書記にも記される「熊野神邑」とされ、神武東征の折に一行が上陸した地ともいわれています。さらに、熊野権現は初め神倉山に降臨し、その61年後、阿須賀の森に遷ったとの伝承もあり、熊野の歴史と信仰において重要な地と考えられています。
また、秦の始皇帝の命を受け、徐福一行が渡来した地という伝説もあり、境内には「徐福渡来の記」も掲げられています。
円錐形をした典型的な神奈備のご神体山・蓬莱山(飛鳥山)と拝殿。創建は孝昭天皇の御代(紀元前423)と伝わり、御祭神は、事解男命、家津美御子大神、熊野夫須美大神、熊野速玉大神。配神として黄泉道守神、建角美神が祀られています。
拝殿の右隣には「阿須賀稲荷神社」があります。玉置神社の玉置山権現縁起には、三狐神は天狐、地狐、人狐であり、熊野新宮の飛鳥を本拠とし、御本地は極秘の口伝と記載されているのだそうです。とても興味深いですね。さらに稲荷神社の右側には徐福を祀る「徐福の宮」、拝殿左側には「子安社」と「子安石」があります。
境内は、弥生時代から古墳時代にかけての遺跡群が発掘され、竪穴式住居が復元されています。「蓬莱山の社叢(しゃそう)」と「テンダイウヤク(天台烏薬)」は市指定天然記念物。徐福が探し求めた不老不死の薬が天台烏薬と言われてるそうです。このように阿須賀神社は様々な伝承が残ることからも、熊野の歴史や信仰において重要な地であることを感じさせられたとともに、何か不思議な魅力を感じた場所でもありました。
※2016年、阿須賀神社(阿須賀王子跡)は世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」に追加登録されました