「補陀洛山寺」は、世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の構成資産の一部。「熊野三所大神社」と隣接し、神仏習合の名残を留めています。
第16代・仁徳天皇の御世、インドから熊野の海岸に漂着した「裸形上人」によって開山されたと伝わっています。ご本尊は三貌十一面千手千眼観世音菩薩。平安時代の作で重要文化財に指定されています。とても幸運なことに、ご本尊をご開帳して頂きました。
復元された「補陀洛渡海船」も展示されていました。
補陀洛渡海とは、南海の彼方にあると信じられていた補陀洛(観音浄土)を目指し船出することで、補陀洛山寺はその出発点であったそうです。渡海僧はこの船に乗り込み、外に出られないよう屋形に釘を打ち付け旅立っていったのだとか。境内には、渡海僧の名が刻まれた碑がありました。どのような心境で旅立たれたのでしょうか。。。
本堂裏手には「渡海僧」の墓と「平維盛」公の供養塔があります。平家物語によると、平維盛公はこの地から那智沖に漕ぎ出して入水したと記されています。平家終焉の地とされる一方で、各地には生存説が伝承されている点も興味深いですね。