ここも予てから参拝したい神社の1つでしたが、ようやく機会に恵まれました。大鳥居の扁額には「不二山」の文字。この表記良いですね~!
立派な楼門(随身門)。扁額には「國威震燿」と記され、富士講から寄進されたものとのこと。1707年の宝永噴火で大破し、1767年に小田原藩主・大久保加賀守によって再建されたそうです。
楼門前には「富士塚の狛犬」。これが存在感抜群で格好良いんですよ! これだけでも、この神社を参拝した価値があったと思ったほど。富士塚を模した岩上に「獅子の子落とし」の諺を倣った狛犬です。昭和初期に富士講(山三元講)から寄進されたそうで、歴史的には浅いものの非常に珍しいですよね。
社殿は小山町有形文化財で、随身門同様、宝永噴火で崩壊し、1718年に再建。ちなみに、宝永噴火では、現在の小山町は3mを越す降灰等により壊滅的な被害を受けたそうです。(詳しくはMEMO参照)
社伝によると、桓武天皇の御代・延暦21(802)年、富士山東脚が噴火したため、須走の地に斎場を設け、鎮火祭を斎行したところ、同年4月初申の日に噴火が収まったことから、後の大同2(807)年に、鎮火祭跡地(社殿の地)に創建されたとのこと。主祭神・木花咲耶姫命、相殿神・大己貴命、彦火火出見命の三柱。
創建後まもない頃には、弘法大師(空海)が当地で修行を行い、富士登山をしたという伝承もあり、中世期頃までは弘法寺浅間宮と称されていたそうです。
裏参道も趣がありますね。
鬱蒼と木々が生い茂る浅間の杜には、静岡県天然記念物の推定樹齢500年のハルニレ。その他にも目を引く巨木や、裏参道鳥居脇には、小山町天然記念物の根上りモミがありました。
それにしても、境内にある富士講講碑の数には驚かされました。約70基もあるそうで、中には登拝899回という方も。富士講から崇敬を集めていたことはもちろん、それ以前からも古くから道者の拠点として栄えたようです。
境内は決して広くはありませんが、荘厳な雰囲気に加え、特徴もあり、本当に参拝できて良かったです。生憎の雨模様でしたが、雨の日の神社も風情があって良いものですね~。
MEMO
- 参拝日:2015.08.29
- 冨士浅間神社(無料駐車場有り)
- 内閣府:広報「ぼうさい」No.37,「宝永4年(1707年)富士山噴火」
- 静岡大学防災総合センター:「須走の町と伊奈神社」
- Fujisan Watcher : 世界文化遺産 富士山と構成資産